オットくんの食事について
オットくんは、去年9月から仕事を自営業の長時間運転が必要な仕事にしました。慢性的な腰痛があり、腰痛改善のために、98キロの体重を1日1食もしくは2食にして意図的に15キロちょっとダイエットしました。
その後貧血がすすみ、食欲も落ち、あれよあれよという間に79キロになりました。6ヶ月以内で20キロ減量です。
話は変わって、私はフルタイムで仕事をしています。
朝7:30に家を出て、夜8時前に帰宅です。今までのオットくんの朝ごはんは、インスタントコーヒーのみで、昼は外で食べてました。夕飯は週の半分くらいはオットくんが作ってくれて、残りの半分は外食かテイクアウトでした。
この度、オットくんは貧血がひどいので自営業の仕事を一旦辞めることにしました。退院してから、ずっと家に居ます。自分のご飯は心配しないで、という言葉を信じて、私は通常通り仕事をしていました。
家に1人でいる間に落ち込んだり、病気について調べたり、いろいろしたんだろうと思います。朝昼食は、ほとんど食べていないのだと思います。
夕食は食欲はないものの、食べたいものを外食していました。夕食全て食べられていました。
人工肛門の手術をしたら、術後1ー2ヶ月は消化の良いものを少しずつ量を減らして回数を食べないといけないです。外食では対応できないと思います。更に手術後、抗がん剤と放射線治療もすると更に食欲減退問題が起こるかと思います。
オットくんのご飯を自分で準備できるとも思えず、私は朝昼夕飯を準備してフルタイムの仕事を続ける自信もなく...
追加懸念事項として、放射線治療ひとりで通えるほど体力が回復するのか否か...
オットくんの母は頼りにならず、メイドさんにお願いするのもコロナウイルス流行の最中で難しく、コロナウイルスのせいで、日本の私の両親の助けもない。
私は仕事を辞めるか、パートタイムにしてもらって勤務時間を減らすか2択かなと思います。収入の問題も出てくるかとも思いますが....
がん患者さん支える家族のみなさんは、どうしているんでしょうか....。
入院2回目の朝 救急外来から入院へ
オットくんは、ひと眠りして調子も多少良くなって、タクシーで救急外来へ向かいました。時はコロナウイルスでCercit breakerという名のロックダウン中。救急外来は、付き添いは入れまん。オットくんだけ車椅子で入っていき、私は外で2時間くらい待ちました。コロナウイルス、本当に不便な状況にしてくれます(怒)
スタッフも医師もなんの説明もなかったのですが、オットくんがメッセージで今の状況を報告してくれてたので、様子はわかりました。
入院が決まり、病棟でオットくん再開しました。
コロナウイルス対策で、見舞い客は原則禁止。
患者さん1人につきcare giverという申請をすれば、いつでも面会時間に決まりはなく、出入り自由です。隣の患者さんは、手術が終わったのが夜中の1時で、奥様が一晩中一緒に居たそうです。個室にすれば、ソファーがベットになるので、付き添いの方も横になれます。ちなみに通常の面会時間は昼12時〜午後2時まで、午後6時〜8時です。
ヘモグロビンは7だったそうで、輸血を2パックして、貧血が改善したら、翌日午後に手術予定となりました。オットくんは「前回の入院の時よりヘモグロビンが高いのになんで症状が出たんだろう....」
と不思議がっておりました。今回は突然大出血してカラダがついていけなかったんだよ。とは言っても、ヘモグロビン7も、立派な立派な貧血です。
前回の入院は内科病棟で、比較的静かでした。今回は外科病棟で、雰囲気が全然ちがいました。看護師さんたちは、フィリピン人が多かったです。若い看護師さんが多く、忙しそうでした。優しい人が多かったです。
看護師さんたちは分業制のようで、担当が違う人に言っても対応してくれないようでした。例えば点滴が終わった場合、血圧測る係の看護師さんに伝えても対応してくれません。薬の係の看護師さんを待たないといけないシステムの様です。
家でオットくんが動けなくなった場合、どうやって病院に連れて行こうとか、救急車995を呼んだ場合は家の入口のセキュリティーに連絡しないといけないのかな...とか、どうでもいいことを色々考えてしまいます。
家族が思うこと
なんでオットくんが癌になったんだろう...
何か悪いことしたからなのかな...まだ41歳なのに。
食生活が悪かったのかな...
→もうちょっと嫌いなモノも食べさせる様にしたらよかったのかな...
家の風水が悪いのかな...
香港ストライキ以来、仕事が上手いってなくて、ストレスで免疫力が下がってしまったのが原因かな...
→オットくんのお尻を叩くべく、私が厳しい事を言い過ぎちゃって追い詰めたのかな...
なんで人工肛門にしないといけない位置に出来ちゃったんだろう....
なんで、もっと早く発見できなかったんだろう....
→貧血がここまで進む前に何かサインがあったのを見逃してたのかも知れない....
自分が患者になる場合はもっと辛いし怖いのに....
支えていく立場の家族がうつ状態になっている場合ではないから頑張れ....
オットくんが居ないと、こんなことを考えて始めて、答えのない無限ループに陥ります。自分の母にボソッと呟いてみましたが、返事をくれませんでした。
1週間後に母に言われました。
今や2人に1人は癌になる時代。
何か悪いことをしたからとか癌になる原因はないよ。運が悪くて当たっちゃったんだよ。
どうして癌になったかって考えないで、今からどうやって元気になるか、一歩ずつ前向きになることが大事だよ。
でも、一回底の底まで落ち込んで考えないと前向きになれないから、敢えて何もコメント返ししてくれなかったそうです。
ふっと心に響いた言葉でした。
それに、自分を支えてくれる人が居るから大丈夫、大丈夫。
入院2回目の朝 また貧血で失神
前日は、7時ごろお粥、玉子焼き、白菜と鶏肉ミンチ団子夕飯に食べました。
そのあと、7時半ごろからピコプレップという名の粉薬2パック+水250ml、そのあと2リットルの水飲みました。
この薬は、腸管のぜん動運動を亢進させることで便などの内容物を肛門側に移動させ、合わせて水分が腸管内から体内に吸収されるのを阻害することにより、排便を促します。大腸内の便を排出し大腸内をきれいにする腸管洗浄剤として用いられます。
オットくん曰く、前回大腸鏡検査の前に飲んだニフレックという2リットルの塩っぱい薬より、ずいぶん飲みやすいそうです。
ニフレックと違い、飲んでから3-4時間くらい便意はなく、便意が来たのが夜の11時過ぎでした。
トイレ通いが始まり、夜中も何回か行ったみたいです。
入院が朝の6:45だったので、5:30から起きて準備しました。オットくんは朝弱いので、椅子に座ってボォーっとしていました。6時に家を出る前にトイレに行きました。トイレから出てすぐ、オットくんが倒れました(涙)「また倒れた....」と本人は言って、真白な顔でした。正直怖かったです。椅子に座っていた時から調子が悪かったのかも知れません。
聞けば、便と一緒に結構な出血をしたそうで、貧血が悪化したなと思いました。オットくんは、聞かないと何も言いません(涙)
入院予定の時間が刻々と近づき、オットくんは「もう行ける」行って立ち上がりますが、立つとフラフラで顔色は真っ白です。部屋から家の玄関に行くのも困難です。
病院に電話しました。
中華系の英語があまり喋れないナースを相手に、「貧血で失神して、今は動けないから遅れます」と伝えたところ「手術はキャンセルね」ってあっさり言われたので、「いやいや、そうではない。なんとかそちらに向かう気持ちはあるが遅れます」と伝えました。「そんなんじゃ手術はキャンセルよ。救急外来へ行け」っていう返しのみでした。「担当の医者と話させてくれ」「医者はまだ来てない」の押し問答になりました。
自分がパニックになっているからか、自分の英語能力が不足しているせいなのか、言いたいこととがちゃんと伝わっているのか不安になり、自分に不甲斐なさを感じました。
結局、入院時間過ぎてしまい、病院から電話が来たのが、マレー系の優しい女性で、「救急外来に救急車呼んで向かってね。担当の先生は今日は何件か手術予定になってるから、救急外来から入院して、担当の先生とはそこで会えるから、大丈夫よ。」と言ってくれました。
その後、担当の医師がオットくんに電話してくれて、「体調次第だが、明日手術が出来るようにアレンジしておく」と言ってくれました。
オットくんは、それを聞き、「救急車は呼びたくない。少し寝かせて欲しい。」といい、11時過ぎにタクシーで病院に向かいました。
下剤 laxative
術前準備 preparation before operation
放射線科の受診からストーマ造設を決意
セカンドオピニオンの意見も含めて、人工肛門造設せずに放射線治療を始めたいと伝えました。
先生は、「人工肛門を先に造設してからの治療を強くお勧めします。ひとつは、腫瘍が大きくて放射線によって腫れた場合は腸閉塞になってしまう可能性がある、構造上の問題。二つめは、腫瘍の構造が画像上、腫瘍の周りが液体で包まれてます。放射線で腸を破ってしまう可能性があり、便が腹腔内に入ってしまう。その場合は腹膜炎を起こしてしまう可能性がある。
2つのことが起こった場合、途中で治療をやめて緊急手術しないといけないし、放射線治療の効果が出ない。医者によっては、人工肛門造設してからの治療でいとやりたくないという状態です。リスクを納得の上であれば、放射線治療を開始しますが、人工肛門造設を強くお勧めします」
オットくんは、「人工肛門を作らなゃいけないならば、先にやるか後にやるかの違いだ。じゃ、先にやります」と言いました。セカンドオピニオンを含めて諸医師の話から、人工肛門造設をする事実を受け入れつつあったのかもしれません。
(後から聞いたところ、お尻から汁が出てくる量が多くなってきていたそうです。オットくん自身もトイレに行く回数が増えていたことも、決意の理由になったのかも知れません。血液検査の結果で白血球が高くて、感染している可能性があるから、抗生物質を出されてました。)
人工肛門をつけるくらいなら死んだほうがいいと言っていたオットくんが、人工肛門を受容して治療をしていこうという前向きなって来たのには、ホッとしました。病気のショックや今後の不安やいろいろあったはずなのに、ひとりで乗り越えたんだと思うとハグしたくなりますね。
しっかり支援応援をしていこうと思いました。
その診察後は、放射線科医が外科医に連絡をしてくれて、その日に外科医の診察、手術前麻酔の診察、血液検査などをして、手術が5日後と決まりました。
入院2回目ー4・5日目 術後3・4日目
4日目は、日曜日だったので、病棟は患者さんも減って穏やかです。ナースも穏やかです。
特になんの処置もなく。抗生物質の点滴のみでした。動くのはまだ痛そうですが、昨日よりずいぶんいいです。
5日目、月曜日。午前中にストーマナースが来て、バックの交換をしてくれました。2ピースのバッグです。土台は5ー7日持つそうです。コロプラストという会社のもので、この会社から2回は自宅訪問無料で受けられるそうです。排出物は粘液性のもので、便になるのは1週間くらいかかるそうです。ストーマから排出物取り出しは、入院中から本人がやってます。
お昼ご飯を食べた後、退院しました。家に着くまで大変そうでしたが、家に着いたら非常に嬉しそうでした。
家で寝ているだけと言っても、病院より歩いたり、立ったり座ったり、身体をうごかしますね。
消化の良いものを食べるように、ということで、野菜を食べなくていい〜というジョークも言えるくらいになりました。消化が良くて、食欲が進むメニューって、一体なんでしょうか....
電車で泣き、職場で大泣きした日
放射線科医の診察の翌日、通勤中に涙が止まらなくなって、職場について仲のいい同僚の顔を見た途端に大声で泣き出してしまった。
オットくんと一緒に居たら、泣いちゃいけないと気が張っていたのだと思う。電車に乗って1人になったら、治療計画がどんどんタフになっていき、オットくんが可哀想になってしまった。
治療を受けないとしたら、オットくんの死が間近に思えてしまって、それもどうしていいのか悲しくなってきた。最終的には何で泣いているのか分からなくなってしまった。
精神安定剤を貰って、家に帰った。
まっすぐ帰ると泣いたのがオットくんにバレるので、寄り道してスーパーに行ってから家に帰った。
1人になって油断するといつでも涙が出てくるのは、いまも変わらないけど、私が泣いても仕方ないと考え直してみる。自分が病気ではないが、それでもダメージ大である。家族は、がん患者の第二の患者というのは本当だ。